ソフトとハードの融合へ…私たちは制御系を得意とするSE集団です
パシフィックソフトウエア開発 株式会社
〒780-0945
高知県高知市本宮町105番地22 ソフトウェア団地内
Tel 088-850-0501
Fax 088-850-0570
設立:1972(昭和47)年9月
ホームページ http://www.pacificsoftware.co.jp/
【主要事業】
各種制御システムの開発
超音波測深システム「SeaVision」の製造、販売
メカトロニクス制御機器及び電子制御機器の開発、製造
釣り場情報サイト「Fishon四国」の管理・運営
四国初のソフトウェア企業
1972(昭和47)年の創業当時から、コンピュータを使った制御ソフトウェアを開発する企業である。
創業者は、現在も代表取締役社長を務める中谷正彦氏。東京の大学を卒業して大阪のソフト会社に5年ほど勤めた後、出身地の高知へ戻って27歳で起業したが、まだ一般的にコンピュータの認識は希薄な時代。高知県はおろか、四国にはソフトウェアを主要業務にする企業は皆無だったという。
「知人たちに、高知で会社を創ると言ったら、ほとんど反対された。まさにゼロからの出発だった」
中谷社長は、そう振り返る。しかも、ソフトウェアの用語すら高知県では分かってもらえない。法務局に提出した開業届けの書類が、付箋だらけで返却されたという。
「再提出の繰り返しで、認めてもらえるまで2カ月ぐらいかかった」と中谷社長は述懐する。特に困惑させられたのが、事業目的の用語。
当初、「コンピュータソフトウェアの製造販売」と記載したものの、「意味が分からない、日本語に変更しろ」とまで言われた。今なら何の問題もないが、当時は用語の理解を得るのも難しい。「このような文言で受け付けた前例がない」の一言を突き付けられ、思案を重ねたあげく「電子計算機の利用技術の製造および販売」で提出したと、中谷社長は苦笑しながら語ってくれた。
創業時の困難を乗り越えて
新たな名刺を手に、新規事業の営業に回ったものの、当時の高知県でコンピュータを使用するオフィスはどこにもない。社名の用語理解が得られず、先々で四苦八苦したという。
時に1970年代。パソコンはおろかワープロもまだない。インターネットも、もちろんない。コンピュータといえば、大都市の専門機関に巨大な機器がいくつも並ぶイメージしかなく、地方都市の企業や個人が手にするなど想像もできない時代だった。
「ソフトウェアの意味を分かってもらえず、ふとん屋、クリーニング屋などと間違われた時もある」
創業時の経緯について、中谷社長はさらに苦笑しながら語り続けてくれた。
転機になったのは、かつて勤務していた大阪のソフト会社に勤める知人からの電話だった。徳島県の、ある会社のミニコン(ミニコンピュータ)に関する作業依頼である。
「やはり人の繋がりは大事。高校時代の友人と、偶然にも再会したのが仕事に繋がったこともある。人との出会いで、人生はどうなるか分からない」
創業当時の業務について、感慨を込めて回想する中谷社長。
やがてオフコン(オフィスコンピュータ)が登場するや高知県の代理店第1号になり、ソフトウェア開発の講義で各地を回るなど、コンピュータ時代における高知県の先駆企業になっていった。
(写真=中谷正彦社長)
主要業務
(写真右=浚渫施工管理システム“SeaVision Navigator”)
「当社のコアコンピタンスは、コンピュータ制御技術。制御を中心に、長くやり続けてきたノウハウは大きい」と、自信を込めた表情で語る中谷社長。
これまで蓄積された制御技術をコアテクノロジーとして、さまざまな分野へ事業展開するなか、現在の主要業務はシステム開発事業、物流搬送システム、流通決済システム、電子通信システムである。
さらに近年力を注ぐのが、超音波測深システム「SeaVision」の製造販売。
かつての超音波測深装置といえば濁りに弱く、濁りが多く発生する海洋土木の世界では使用が難しかった。そこで、かねてからの超音波技術にコンピュータのテクノロジーを加え、濁りが発生する海底でも深度測定を高速に行うシステムを実用化。5年の歳月を要して研究開発した後、1997(平成9)年3月に販売されるや、今や国内シェア第1位の実績を持っている。
「超音波のエコーを独自の機構で解析し、研究開発したSeaVisionは海洋土木の世界では画期的な超音波測深装置。当社では超音波回路をマスターして、しっかりとしたノウハウができたので、この分野ではどこにも負けない」
本社に置く「SeaVision」の1/10模型を手に、中谷社長は力強い言葉をいくつも聞かせてくれた。
高知県の地場産業とIT技術
ソフトウェアとハードウェアの融合を技術コンセプトとして、一次産業分野における開発にも取り組んでいる。
[イタドリの皮剥ぎ機]
イタドリといえば高知県ではとても一般的な山菜だが、全国的な知名度は低い。
そこで、高知県らしい自然食品を全国へ発信するため、ネックとなる皮剥ぎの自動化を実現。IT技術を駆使して、農業の高度化を図った開発のひとつである。
[楮の皮剥ぎ機]
楮は土佐和紙の原材料。高知県の伝統文化のうえでも、とても貴重な資源である。この機器は、蒸した楮を投入口の上に置いて流せば、高速に皮部と木部を分離して木部だけを排出してくれる。
イタドリの皮剥ぎ機の応用として開発され、高知県の地場産業の活性化に繋げる機器としても注目されている。
[丸太計測システム]
全国一の森林率を誇る高知県だけに、急峻な山が多く森林の育成や伐採には多くの課題が蓄積されている。しかも、一般に丸太の計測は市場で行われているが、今後は伐採現場での作業が求められている。
そのようななか、画像処理を応用した計測機器を開発。持ち運びが容易で、使いやすい計測システムである。
世界を見据えた社名
「僅か2人で始めた会社だったが、40年余りの歳月を経ておよそ70人が勤める企業になった。27歳で起業した時、ベンチャー企業を興すような大それた野望ではなく、自分の働ける場所を自分で作る。その一念だったが、これまでに退社した人たちを含めれば、150人以上もの人生に関わってきたといえる」
およそ41年の経緯を感慨深げに語る中谷社長。
さらに、社名の由来についても訊いてみた。
「社名は、将来どんなに大きい会社になっても通用するもの。またソフトウェア産業は他産業と比べて、地域を越えた展開がより可能である。そのような観点から、極力地域を限定するような名称にしたくはなかった。
そこで出てきたのが“パシフィック”である。“太平洋”は高知から世界へを表し、今ひとつは西部開拓史の時代に東海岸から西海岸へ鉄道を敷設した会社、ユニオン・パシフィック鉄道(Union Pacific Railroad)にあやかって、フロンティア精神を表そうとした。
“パシフィック”を冠し、事業分野を表す“ソフトウエア”を続けて“パシフィックソフトウエア”までは出来上がった。しかし、何か物足りない。将来、研究開発的な展開が出来ればいいなと、私はこの会社の成長を願っていただけに、“パシフィックソフトウエア”だけではその思いが表せないと考えた。
そして、こだわりの2文字を表す“開発”を付け、“パシフィックソフトウエア開発”の名前が誕生した」
高知県の未来を思う
「当社の社員は、ほとんどが高知県の出身。従って、自分が携わっていなくても会社が地域と関わりを持ち、地域に役立つ仕事をしているんだと感じることで、やっぱり高知の企業に就職してよかったと思ってほしい」
このように語り、高知県の企業として地元を思う中谷社長。それだけに、近年著しい人口流出への心配は絶えないという。
「つい数年前まで80万人代だったのが、今や75万人を割った。人口流出県の危機感をもっと持たねばならない。高知県で育つ若者たちが、都会へ出なくても働けるような環境を、高知県全体の問題としてもっと検討すべき。例えば、森林率は約84%で日本一。山が宝の土地柄を生かし、地域の山や産業に拘わる仕事も重要だと考えている」
中谷社長はこう語り、社員たちには研究開発を重ねる重要性を説いているという。
「常に何か新しい取り組みを続けるのが大事。社内で、誰も新しいことをやっていない時があれば会社の危機。例えば寝る前に本を10分でも読めば、10年で何冊読めるか。全く読んでいない人との差は、歳月を重ねるにつれて大きくなる。常に研究開発し、チャレンジする企業でありたい」
そして、最後に力強い言葉で締めてくれた。
「何か、ひとつを長くやる。そうすれば、その道では誰にも負けないノウハウが蓄積される。ただ、分相応な見極めも大事。そして、いろいろな人たちのお世話になってここまでやってこれた。その恩を忘れてはいけない」