トップページ > 池川木材工業 有限会社
ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ


木を愛し、木とともに生きる。


池川木材工業 有限会社


池川木材工業本社棟<br>

〒781-1606
高知県吾川郡仁淀川町土居甲775-1
Tel 0889-34-2015
Fax 0889-34-2545

設立:1953(昭和28)年5月
ホームページ http://www.ikemoku.co.jp/

【主要事業】
木製家庭用品製造販売
一般建築材の製造販売 など




(写真=右側の白い建物が、池川木材工業本社棟および第一工場。手前を流れるのは仁淀川の上流。春になれば、桜並木が美しい景観を彩ってくれる)



池川を愛して


池川神楽<br>
椿山(つばやま)の情景<br>


(写真左=池川神楽。右下が、池川神楽には欠かせぬ鬼神「だいばん」)


(写真右=旧池川町の最奥の集落、椿山。昭和50年代まで焼畑農業が行われ、民族文化の側面でも貴重な集落として知られるが、2013年の住人は僅か5人になってしまった)




池川といえば、仁淀川上流の清流が注ぐ高知県北西部の山間の町である。
最盛期の昭和30年代にはおよそ9000人が暮らし、豊かな森林を生かした林業や茶畑などの農業、土佐和紙の原材料となる楮(こうぞ)や三椏(みつまた)を栽培収穫するなど、かつては第一次産業で栄える町だった。
さらに土佐の三大神楽のひとつに数えられる「池川神楽」や、最奥の集落・椿山(つばやま)では昭和50年代まで焼畑農業が行われるなど、民族文化の側面でも著名な地域である。

だが、高度経済成長期が過ぎると人口は減少の一途をたどり、全国で最も過疎化の進む町のひとつになるや、2005(平成17)年の町村合併で池川町の名は消滅。現在、かつての池川町の区域に暮らす人たちは2000人を割ったという。


「けんど、池川は池川ちや」
住所表記上、池川の名はなくなったものの、池川に生まれ育った人たちの郷土名への愛着は深い。今も、池川神楽や池川小中学校、池川のお茶など、郷土の名を残す分野が残っているのは、地元の人たちにとって心の拠りどころになる。そうしたなか、池川を愛し、池川の地を大切に守り続ける企業が、池川木材工業有限会社である。

創業は1953(昭和28)年。幼少期から、池川の山々を庭のようにして育った大原儀郎(ぎろう)氏が、町内の下駄屋製造会社を引き継いだのが始まり。
現在は会長を務める大原儀郎氏の生まれは1935(昭和10)年。会えば、池川への愛情を篤く語ってくれる。
「あし(私)が若い頃は、季節ごとに山の楽しみがどっさりあったがよ。山菜も、野草も、生き物も、四季折々にあったがやき。湧き水も、しょう美味いもんじゃった」
まるで昔話のように、土佐言葉丸出しで池川の歴史を語る大原会長は、時に地元の小中学校でも熱弁を重ねるという。今や、池川の貴重な生き字引きのような人物である。


河嶋山(かわしまやま)神社<br>
本社第一工場<br>


(写真左=旧池川町の中心部からは奥へ約8kmの集落、百川内と大野の境に建つ河嶋山神社。建立は天保年間にあたる1832年。池川の山間には、このような貴重な社がいくつも現存し、豊富な山林資源の歴史を伝えてくれている)


(写真右=池川木材工業・本社第一工場)





学生時代はサッカーに没頭した現社長


大原栄博社長<br>

現在の社長は、現会長の長男・大原栄博(まさひろ)氏。1960(昭和35)年に生まれ、大学を卒業と同時に入社した後、1998(平成10)年に38歳で2代目社長に就任。当時の社員は約40人だったという。
多くのスタッフと3歳下の弟、大原栄治氏(現在は営業部長)とともに新規改革を重ね続け、2014年春の時点でスタッフはおよそ70人。池川に3ヵ所、佐川に1ヵ所、さらにベトナム・ホーチミンにも1ヵ所と、計5ヵ所の工場を抱え、父が築き上げた企業を一層発展させている。

大原社長に訊けば、「大学に進むまで、後を継ぐかどうかは決めかねちょった」と言う。少年期からサッカーに没頭し、高知学園高校サッカー部では全国大会に出場。国士舘大学サッカー部に進学するや、1982(昭和57)年の関東大学サッカー1部リーグで、創部以来悲願の初優勝を達成。ちなみに、大学の同期・後輩には元日本代表の柱谷幸一、哲二兄弟がいる。学生時代は、まさにサッカーのエリート街道を歩んでいた。

転機の切っ掛けは、二十歳の春だった。1980(昭和55)年4月上旬、下駄の製造を主要事業とする工場が火事で全焼。家業の一大事に、このまま大学でサッカーを続けていいか悩んだという。
しかし、「心配するな。今のお前は好きなサッカーを頑張れ!」の父の一言に感銘し、卒業後の跡継ぎを決意。大学2年の時点で決心しただけに、最終学年で優勝したサッカーの思い出は格別だろう。




(写真=大原栄博社長。オーストリア製の最先端乾燥機を備える工場だけに、同国の名家・ハプスブルク家の家紋を壁面に飾っている)



転機になった恩人


第二工場<br>

(写真=第二工場)




大原社長が入社した1980年代当初、主要事業は下駄の販売加工だった。だが、製品を手に各地のデパートを回ったものの、大きな利益にはならない。さらに当時は問屋納めが主流で直送販売の手立てはなく、高知県山間部の加工製品を全国に売って回るのは非常に難しい時代だった。

新たな方策はないかと模索するなか、ひとつの転機が訪れた。大阪で家庭用品の販売に長ける人物と出会うなり、商売の教えを願い出た。当時の大原氏は家業の勤めを始めたばかり。無我夢中で大阪へ何度も足を運んだという。
「大阪へ通うたがは、23歳から27歳ぐらいのほぼ5年間。サッカーをやりよった体力がまだまだ有り余っちょったき、池川と大阪を行き来するがは何ともなかった。商売の勉強をせんといかん。その一心で必死やった」
そう振り返る大原社長。


すると、ちょっとした工夫で下駄のイメージを一新するアイデアが、当時の社長・大原儀郎氏(現会長)に浮かんだ。
「あの頃、荒物(家庭用品)といえば、まな板など台所用品の観点しかなかった。けんど、家のなかで荒物が必要なのは台所だけやない。そこで会長が下駄に工夫をした。外で履く発想しかなかったがを、風呂場でもと気付いたがよ。ただ、普通の下駄じゃったら滑る危険がある。ほんで歯の裏にスポンジを貼ってみた。ほいたら、下駄が風呂場用の履物になったがよ」
そんなアイデアで生み出した新製品をもとに、時の大原儀郎社長は県内の荒物屋の門を叩いた。すると、その荒物屋に当初は渋い顔をされたものの、「せっかくやき何足か置いちょきや」と言ってもらうや、その年に1000足以上の注文がもらえた。


当時20代後半の大原栄博氏(現社長)は、父の懸命な姿に「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」の信念を感じ、その新製品を持って全国へ売りに回った。しかし商売は簡単ではない。全国規模の大手の店は、なかなか商品を置いてくれない。それでも諦めず、懸命に足を運び続けた。
さらなる転機が訪れたのはおよそ5年後。ある知人が、関東を拠点にする大手ホームセンターのバイヤーと、繋がりがあると知った。そのホームセンターには、5年間頼み続けるが未だ商品は置いてもらえない。何とかしたいと、その知人に5年間の経緯を相談するや、すかさずホームセンターに頼んでくれたという。
「嬉しかった。商売をするに、人の繋がりがいかに大事か痛感させてもろうた。ホームセンターに紹介してくれた知人への恩は、生涯忘れられん」
大原社長は感慨を込めて語ってくれる。

5年越しの念願が叶い、当時50店舗を抱える大手ホームセンターの全店舗に商品を置いてもらえた瞬間、池川木材工業の新規事業の第一歩が記された。


第三工場<br>

(写真=第三工場)



スノコの販売量は国内第1位


スノコ<br>

池川木材工業が活用する原材料は、県産の桧か杉。池川の豊かな自然を生かして、木材の伐採から製材、加工まで一貫して自社で行っている。
主要事業の内訳は、建築関連が約45%、木製家庭用品が約45%、副資材(燃料、ペレットなど)が約10%。建築材はプレカット工場や各工務店へ出荷し、家庭用品は全国の大型店舗やホームセンターなどで販売されている。また、国内のみならず、韓国とベトナムにも商品の出荷はある。

さまざまな家庭用品の製造を手掛けるなか、近年の大ヒット商品がスノコ。風呂用や押し入れ用など、国内におけるスノコの販売量のうち、池川木材工業の製品は3割を超えている。国産品のスノコでは、国内シェア第1位の企業である。それでも大原社長は満足していない。
「3割を超えたけんど、次の目標は5割。ほいたら、その道のプライスリーダーになれるき」そう言葉を強め、さらなるステップを目指している。

なお、商品化されたスノコは、全国の大型店舗やホームセンターなどに並んでいるが、およそ50%がOEM(Original Equipment Manufacturer = 発注元企業のブランド製品の製造)なので、商品に製造会社名は表示されていない。もし、「土佐ひのきの国産材」のような謳い文句のスノコなら、池川木材工業の加工製品だと思っていいだろう。




スノコを製造する第二工場<br>

(写真=スノコを製造する第二工場の一画。この機械では、16秒で一枚のスノコ加工ができる)



オーストリア製の最先端乾燥機


オーストリア製の最先端乾燥機<br>

木を愛し、自然環境を思う大原社長は語る。
「木材は捨てるところがない。おがくずや、樹皮(バーク)にも付加価値がある。端材も加工して生かすがよ。ほいて、木材をしっかりと循環させて、自然環境も保護せんといかん」
その信念を実践するのが、2007年にオーストリアから導入した最新装置、「木質バイオマス乾燥システム」。かつては処分していたおがくずや樹皮(バーク)などを熱源に、木材を乾燥させる循環型装置である。
操作室に備えたパソコンにはオーストリア製のソフトがインストールされ、それぞれの条件を設定すれば24時間自動に運転してくれる。しかも化石燃料とは違い、「カーボンオフセット」(ある場所の温室効果ガス排出量のうち、どうしても削減できない量を、他の場所で排出削減したり吸収する活動の総称)に取り組んでいるので、地表のCO2を増やす心配もない。

そもそも、オーストリア製の最新機を導入する切っ掛けは、2004年に起きた漏電火災だった。木材の乾燥室が全焼した。火の元の管理に繊細な注意を払っていても、何が原因で火災になるか分からない。木と木の摩擦で出火するケースもあると聞く。日常、木材の管理に乾燥は欠かせないだけに、この漏電火災を契機に乾燥機の重要性を痛感したという。
大原社長が調べるに、オーストリアは30社以上のメーカーを擁するボイラーの先進国。そう知るや、木の皮をコンテナに積んでオーストリアへ送り、燃焼実験の依頼を申し出た。
「この業種は乾燥機がないと仕事にならん。世界有数の乾燥技術を学んで、世界最先端の機械を備えんといかん」の決意を胸に、大原社長もオーストリアへ何度も足を運び、勉強を重ねて購入した装置である。

さらに木質ペレットの製造装置も導入して、おがくずや木くずなどをペレットに再生利用する工夫も重ねている。




オーストリア製の最先端乾燥機<br>
最先端乾燥機外観<br>


(写真=オーストリア製の最先端乾燥機。防火を考慮して、乾燥機を内包する建物はコンクリート打ち放しで仕上げている)



池川に根付く


池川木材工業周辺<br>

「池川の山には多くの資材がある。けんど、山にあって、山にあらず」
今後の夢について、大原社長は力を込めた口調でこのように答えてくれた。
「つまりこういう意味よ。資材は池川、商品は全国から海外へと行く。そう思いよったら、池川でも世界に通用する。池川そのものがブランドになるがちや」
池川を愛する心意気は、まさに父親譲り。

2014年で79歳になる創業者・大原儀郎氏について、氏の同級生や幼なじみは口を揃えて言う。
「子どもの頃から、儀郎さんは頭のえい人じゃった。池川を大切に頑張ってくれゆうがは、まっこと嬉しい。この歳になっても、池川中学の同窓会の幹事をいっつもやってくれゆう。有難い。もし池川木材がなかったら、池川はもっと寂れちゅう。儀郎さんと、後を継いだ息子さんたちのおかげで、故郷が今も残っちゅう」

現在、池川木材工業の社員のうち、池川の地元の人たちは約6割。過疎化が進むなか、地元企業としての役割も大きい。
「中山間地域でも、やればできる証明をしたい」
大原社長は、いくつもの力強い言葉を聞かせ続けてくれた。

ご質問・ご意見

  • 知事
製品カタログ
メリーガーデン

もっと見る

  • 加工技術で探す
  • 業種で探す
  • フリーワードで探す
  • 県内企業一覧
  • 注目企業一覧
  • コーディネート機関に依頼する
注目企業
施工

高知石灰工業  天然素材を生かした製品づくり

伝統の素材をいまの形に 高知県南国市稲生3143...

製造風景

高知精工メッキ 機械加工から表面処理まで一貫生産

「新しいもの」「難しいもの」「特殊なもの」に挑戦し...

メイン農園

有限会社四万十みはら菜園

高知県幡多郡三原村宮ノ川1270番地11 TEL 0880317781...

もっと見る
高知家
高知防災
高知で暮らす。
高知県U・Iターン人材情報システム
高知しごとネット
シェアオフィス
高知まるごとネット
よさこいネット
こうちインターネット放送局

注目企業